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10月19日 燃える闘魂 アントニオ猪木 

みなさん、こんにちは

タイトルに「あれっ?」と思った方もいらっしゃるでしょう。女性の方で、「何かな?」と思った方もいらっしゃるでしょう。昨日、アントニオ猪木さんの生涯を綴ったDVDの広告を見ました。今日はアントニオ猪木さんの生き様について、私の思いを書かせていただきます
私たちの少年時代のスーパースターは、野球の王と長島、そしてプロレスのジャイアント馬場とアントニオ猪木の4名で、彼らの名前を知らない人はいませんでした。昼休みは野球、そして体育の授業の前後には、エバーマット(体操競技などで使用する厚さ30cmくらいのスポンジのマット)の上で、バックドロップなどのプロレスごっこをして遊ぶのが普通の男子生徒の日常でした。私の出身の岩手県では、民放テレビは当時一社だけで、ジャイアント馬場やアントニオ猪木の所属する新日本プロレスは放映されていなかったので、熱烈なプロレスファンの友達が買う雑誌を見ながら、猪木さんのコブラツイストや卍固めを、かけたりかけられたりして遊んでいました。(ちなみに私の得意技は、ヘッドロックといって、運動神経ゼロでもできる技でした)

アントニオ猪木さんは、日本だけでなく世界的に有名です。モハメッドアリとの異種格闘技の試合を行ったことや、第一次湾岸戦争の前夜にイラクにおいて行ったイベントにより、人質状態にあった在留日本人と全人質の解放に貢献したことです。

彼は、皆さん知っての通り、1989年に「スポーツ平和党」を結成し、参議院選挙に立候補し当選しました。初のプロレスラー出身の国会議員となりました。彼の凄いところは、党までつくり、そして自分だけでなく、その後野球選手だった江本氏も国会に送ったことなど、上記のイランでの人質解放などとあわせて、信念を持って人生を生きてきたことです。

幸福実現党の新しいマニフェストのキャッチコピーが「元気だせ、ニッポン」ですが、これはオリンピックのキャッチと似ていると思われている方も多いでしょうが、猪木さんが10年以上使っているキャッチコピーは「日本を元気に、そして世界に元気を」ともそっくりです。猪木さんは少年時ブラジルに渡り、そしてプロレスの道を究め、多くの事業を立ち上げ、そして未知の政治まで踏み出しました。まさに人生チャレンジの連続で、いつも私達に元気と勇気をくれました。どんなことがあっても前向きに生きるようメッセージを下さってました。幸福実現党の自己責任の考え方、自助努力の考え方など、非常に共通することが多いと存じます。

猪木さんのイラクの件については、20年前の話で覚えていない方もいらっしゃるでしょうから、簡単に述べておきます。

1990年湾岸戦争の2ヶ月前に、イラク在留の日本人が国外禁止となり実質人質となりました。外務省などの人質解放交渉は暗礁に乗り上げた時、同時の猪木議員が、被害者家族を引きつれイラクで「スポーツと平和の祭典」のイベントを企画しました。外務省は危険だからと猛烈に反対するなか、日本の航空会社も飛行機を飛ばすことを拒否してきました。猪木さんはトルコ大使に懇願し、猪木さん個人で費用負担することを条件にトルコ航空のチャーター機を手配し、イラク入りが実現しました。12月2日と3日で、無事イベントが終了しましたが、人質解放とはならず、5日に帰路に着くフライトの直前に猪木さんだけがイラク政府に呼ばれ、彼を除く家族と関係者が帰国しました。なんと、7日に人質全員の解放が決まり、日本に帰国できることとなりました。

私はこの時、海外駐在でアフリカにいました。この猪木さんの行為は、本当に勇気のあるものであり、画期的なことです。

理想の政治家といえば、皆さんは誰をあげるでしょうか?
私は、猪木さんも、一人の立派な政治家と思っております。
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