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2月27日 自由の砦 宗教政党 

みなさん、こんばんわ

今日は、とても暖かい一日でした。4月の陽気となりました。心も軽やかになってきたところで、ちょっと固いところを述べてみたいと思います。どうか、付き合ってください。
落ち葉

近代の世界的に有名な哲学者である、イマヌエル・カントは、自由についてこのように述べています。
 
「人間が、自分の意思を持って何かを実践しようとするとき、その限りでのみ人間は自由である。」

また、このようにも言っています。

「自由はまた、義務の認識であり、行為を義務に合わせることにほかならない。」
「道徳法則は無条件で守らなければならないのである。」
「道徳法則と人間の意志は依存関係であり、義務(行為の強要)である。」

ちょっと聞き慣れない言葉が続きましたが、つまり、カントは自由は義務の上にあり、道徳と切っても切れないことを述べています。
そして、カントの言う道徳とはまさに宗教的な倫理観のことでした。

ヨーロッパ思想の源泉であるギリシャにおいて、生きる上での私的生活の上に自由はなく、あくまでポリス(都市国家)において成立すると言われていました。
現代人は、ギリシャ人が不自由だと考えた「私的な世界」をまさに自由の基礎と捉え、ポリスというギリシャ人にとって自由の領域を不自由の脅威と捉えたのです。

自由という言葉は、各人がただ好き勝手に行為を行うことなど、ありえないことです。『欲望の自由』などが介在する余地はありません。

カントが言うように、宗教的倫理観をベースにした道徳法則を守るなかにしか、自由が発揮されることはないことを意味します。

従って、自由を標榜するヨーロッパの各国には、宗教政党が多数あり、与党としてまた野党として、様々活躍をしています。まさに、自由を守るためです。

宗教を認めない、唯物国家に自由がないことからも、それは証明されています。

宗教こそが、人類の自由を守る砦です。日本に始めての宗教政党ができました。真なる自由の大国「ニッポン」を築くためです。

日本は、自由を望むのでしょうか? それとも、不自由を望むのでしょうか?

幸福実現党は自由をこのなく愛します。道徳を愛し、義務を果たす国民による自由な国家運営の舵取りをしっかり行ってまいります。
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