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3月12日 差別即平等 

みなさん、こんにちは。

今朝の盛岡は快晴でした。盛岡駅前の街宣は、金曜日でもあり、暖かくなってきた春の予感を感じて心が弾んでいる方が多いのか、非常に気持ちのよいものでした。40分もの間、ずっと聞いてくださったご婦人もいらっしゃり、いつもより魂を込めてできました。ありがとうございました。

さて、仏教用語に「差別即平等」という言葉がありあす。
死ねば仏になるという仏とは、霊魂になるという意味でしょう。仏教の教えは、修行によって悟りを深めていくことができ、死後の帰る場所も違う、というものです。
一番の違いが、天国(極楽)と地獄です。

平等というのは、機会の平等であって、結果の平等ではありません。結果の平等を推し進めるとどのような社会になるかについて『平等が人間の精神を破壊する』(野島精二著)で、このように説かれていまので紹介します。

「社会に平等の正義が大手を振って幅を利かすと、先生と生徒も平等、指導者も被指導者も平等、・・・金持ちも貧乏人も平等、子供も大人も平等、上司と部下も平等となり、生徒は先生の教えに従う必要はなく、子は親に従う必要はなく、部下は上司の指示に従わなくてもよく、弱者は強者に服従しなくてもよく、金はもらってもその人の指示に従う必要はなくなります。そして、人々は自分の選んだリーダーの指示に従わなくてもよくなってくるのです。

こうして弱者は義務感から開放され、反省心がなくなり、個人としての責任感もなくなります。弱者は平等の正義と甘えがあれば義務と自己の良心の呵責から免責され、のびのびと社会の恩恵を権利として享受しながら生きてゆけます。こうなると社会から責任という概念が姿を消していきます。

責任感がなくなると給料は高いほどよく、仕事は少ないほどよいという甘えが活性化してきます。・・・自分が弱者であると意識することによって、超自我のコントロールから開放され、精神的発達は阻害され、ますます人格劣化への道を転落していきます。・・・平等と権利の正義は義務と良心に対して免責を与えるので、人格の優れた強者も多数決と平等の正義に圧倒されて、弱者と平等な心性を享受しようとして、強者としの義務感から心理的に免責されようとします。こうなると社会の掟は無効となり、倫理、秩序は破壊されてしまい・・・」

引用が長くなって申し訳ありません。
結果平等をすすめることが、人間的な成長を阻み、社会からモラルをなくします。
学校の崩壊は、まさに結果平等を推し進めた結果です。

悪いことをしたら叱る。勉強をサボったら叱る。イジメは絶対許さない。善悪の価値基準を知らない教師は、社会にとって害悪以外の何者でもありません。教師の資格とは、まずしっかり勉強を教えること、そして善悪を教えること、子供が立派に成長し、社会のお役に立て誇りを持って人生を生きていけるようにすることではないでしょうか。

「結果平等」即「子供の人格・成長の破壊」ではないでしょうか?
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